小学5年生で大きな手術を経験し、サッカーを引退した中谷雄登さん。すべてが当たり前ではないという強烈な気づきを得た彼は、中学時代に「自分探し」の期間に入ります。第2回では、中谷さんがいかにして自らの哲学を深め、高校での猛勉強を経て、進学先として広島大学を選んだ意外な理由に迫ります。
Q&A形式:第2回 哲学的な問いと広大進学の真実
井上(聞き手): 第1回で、サッカーという全てを失った喪失感を中学時代に抱えていたというお話がありましたね。中学時代は、その喪失感から自分探しというか、なにか新しいことを始めたりしたんですか?
中谷: そうですね。結局、何か新しいことは始めなかったんです。代わりに、自分って何なんだろう?という部分をひたすら自問自答する期間でした。世間から見たら「殻に閉じこもって」いるのかもしれないですが、自分の世界に閉じこもって、ひたすら自分と対話というか、哲学的なことを少し考えたりしていました。
井上: どのような哲学的な問いを考えていたのでしょうか?
中谷: 自分の存在って何だろうとか。あとは、他人の存在、他人が存在していることってどうやって証明できるんだろう、みたいなことを考えていたり。あとは「友達ってどういうものなんだろう」といった、言葉の定義とかを自分の中で突き詰めていました。中学時代は、自分の世界観を作ろうともがいていた時期だったかな、と思います。
井上: 中学時代の学校生活はどのような感じだったんですか?
中谷: はい。授業は真面目に出席して、帰ったら、家では一人でゲームしたり、という感じでした。割と一人でいることが多かったですね。もちろん学校での友達も好きだったけど、どこかこう、激しい運動などで一緒に外で遊べない部分に引け目を感じていたのかもしれないです。ただ、別に一人の時間もすごい好きで。それはそれですごい楽しかったですね。
井上: なるほど。高校時代はどのように過ごされたのですか?
中谷: 高校時代は、なんだろう。とりあえず「3年間は勉強」と決めました。人生の中で3年間って、100年としたら3%じゃないですか。だったら、3年間ぐらいは勉強というものに費やしてもいいだろう、と思って、そこそこ真面目に勉強に取り組んでいました。夜は高校の友達と一緒にゲームしたりはしていたけど、基本的に勉強が自分の中では中心でしたね。
井上: まさに「勉強の3年間」だったのですね。当時は、東大や九大といった高いレベルの大学を目指していたと聞いていますが。
中谷: そうです。高一の時は、東大とか行きたいって言っていました。当時は大学とか全然知らなくて、東大と広大(広島大学)しか知らないぐらい、知識がなかったんですが、一旦こう、高いレベルを目指すのは悪いことではないだろう、と思って目標を高く設定していたんです。
井上: 結果的に浪人も経験され、最終的に広島大学に入学されます。高校3年間と浪人生活を経て、広大を選んだ理由は何だったのでしょうか?
中谷: 浪人して勉強を頑張っても、九大を狙えるぐらいまで学力は上がったんですが、ふと我に返って「何のためにそこまで勉強頑張ってたのか」と自問した時に、「本当にいい大学に行きたいのか」というか、その先何をしたいのかが全然なくて。だったら、九大に行く必要もないよね、と思ったんです。
井上: 大学に行く意味を、自分の中で問い直したのですね。
中谷: そうです。本当に最後の最後、ギリギリぐらいまで旧帝大を狙っていたんですけど、そこまでして何を求めていたんだろう、と本質的なことを自分で考え直してみて、やっぱりそうでもないな、と思って急遽、地元の広大でいいじゃん、ってなって広大に変えました。
井上: 勉強が、あくまで「大学に行くための通過点」であり、何かを成すための「手段」なんだと気づいたと。
中谷: はい。じゃあ自分が何やりたいのか、何のため勉強してるんだと考えた時に、いい大学に行くためじゃないなと思って。じゃあ自分がやりたいことできる大学だったら、どこでもいいんじゃない?ってなって、地元で近いし広大でいいじゃん、となったのが大きいですね。
井上: 中谷さんにとって大学でやりたかったこととは、何だったのですか?
中谷: そもそもいろんなことを知りたいなって強く思っていて。浪人してから、文理融合の学部が世の中にあるということを知ったんです。幅広くいろんな学科の分野を勉強できるというのを知って、これ面白いじゃんってなったのがきっかけです。
井上: それが広島大学総合科学部ですね。特定の学問に偏らず、幅広く学ぶ学部だと。
中谷: そうです。それにすごい惹かれて。あ、これ面白そう、ってなりました。
井上: さらに、オープンキャンパスに行った時に「なんとなく広大に来てそう」と思ったという直感も広大を選んだ決め手の一つだったとか。
中谷: そうですね。直感じゃないけど、「来てそうだな」って思ったんです。なんか、本当にそれ通りになる気がして。直感と、進路を見つめ直して決めたという、半々ぐらいでした。
井上: 見事、広大に入学されて、大学1年生の頃はどんな生活を送っていましたか?
中谷: 幅広く学びたいという思いで来たから、本当に自分が好きな授業だけ取らせてもらって。総合科学部は自分で授業をかなり自由度高く組めるので、好きな授業いっぱい取って、ひたすら授業出ては家でちょっとゲームして寝る、みたいな生活を送っていました。結構一人だったかもしれません。
次回の予告: 第3回は、一人で過ごしていた大学生活から一転、教育系サークルや株式会社スターベルズの活動に参加し、執行役員となるまでの道のり。そして、中谷さんの根底にある「わからないことを楽しむ」という哲学と、「輝く人」の定義に迫ります。






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